私のiPodには、落語がたくさん入っている。フジポッド「お台場寄席」と@niftyのnifty寄席をPodcastで利用しているからである。
しかし、それでは足りず、落語の蔵やRadioDaysなどのサイトで好きな噺家の話を購入している。私のお気に入りはやはり柳家喬太郎師である。
先日、師の「竹の水仙」を購入して聞いていた。さすがは喬太郎師。テンポのよい進行と独自の解釈を加えたキャラ設定には脱帽である。
ところが、この噺を聞いていてふと気がついた。竹の水仙は、左甚五郎が鳴海の宿の貧乏な旅籠で長逗留していて、宿代を払えない代わりに竹で水仙を彫り、それをみつけた毛利が高値で購入。その代金を貧乏な旅籠の主人にすべて渡すところで、旅籠の主人が左甚五郎と気づく、という噺だ。
しかし、喬太郎師は、鳴海の宿、つまり、現在の名古屋市緑区鳴海町付近の宿であるにもかかわらず、江戸言葉で演じていたのであった。でも、鳴海の宿の旅籠の主人ならば、話し言葉は当然「名古屋弁」だろう、と。さらには、左甚五郎は飛騨の生まれであるので、甚五郎にも飛騨弁(?)があるはずである。
それに気づいたとき、確かに喬太郎師の落語は面白いのだが、「とてもよく作られた噺」にしか思えなくなってしまった。何回聴いても笑えるのだが、その奥のリアリティにかけると思うようになった。
これはひとえに私が名古屋出身ということに尽きる。そう、私だって今の職場に来る15年前は、バリバリの名古屋弁を話していたのだ。でも、最近ではほとんど出なくなってしまったが。
これに気づいたときに、この噺を演じるのに最適の噺家が思い浮かんだ。そう、三遊亭円丈師である。高校生のとき、円丈師がわが校にやってきて、カールルイスが100m道路を走ったら、というような噺をしていかれた。もう20年以上も前の話である。この頃、円丈師は実験落語を終えていたようであるが。
是非円丈師の「竹の水仙名古屋弁バージョン」を聴いてみたいと思う今日この頃である。
なお、喬太郎師の噺は、どれを聞いても笑えること間違いないことだけは申し添える。
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